宮城県 14歳
よく笑う子でした。
とてもいたずらが大好きで部屋中を荒らしまわってはにこにこしていました。
食いしん坊で、弟のお皿からこっそりつまみ食いしていたこともありました。
学校の体育館におろしてやると、水に放した魚のごとくバニーホッピングであっという間にいなくなってしまいます。そんな彼を追いかけるのがとても楽しくて、障害があっても元気でいてくれる事に感謝する毎日でした。
てんかん発作を発症するまでは。
発作の始まりはごく小さなものでした。学校の給食の時間、首が一瞬カクンと落ちるんです、
と担任からの報告。それは次第に増え、家でも見られるようになり初めての脳波を取りました。
てんかんと診断されたのは小学校三年の頃。
それから様々な薬を処方されては、様々な副作用に苦しめれ、発作はごく小さなものから、多様な変化を遂げていきました。
難治性てんかんとの闘いの始まりです。
発作の度にきっと彼の神経はダメージを受けていくのでしょう。
同時に苦しむ姿を見守るしかできない家族の心も、発作の数だけ傷ついていきました。
何もできなくていいから、苦しませたくない、少しでも笑顔をみせてほしい。
そのささやかな願いを支えにこの数年は必死に寄り添ってきた気がします。
息子は14歳、中学2年になりました。今年に入ってから急速に退行し、現在は座位をとる事も困難です。
食事がとれなくなったことも多くなり、胃瘻を増設しました。
てんかんについては様々な治療法を検討しながら現在はケトン食治療にトライしています。多い日で日に7~8回あった強直発作、大発作が2~3回にまで減少、波はありますが、期待が持てる効果が出ています。
出来なくなった事を嘆くのではなく、出来る事をすこしずつ。
QOLの向上=社会参加、残存機能の維持、肺炎予防などを目標に遺伝子治療の可能性、新薬への希望を抱きながら近い将来MECP2重複症候群が根治できる日を目指して家族会の皆さんと共に闘っていこうと思います。
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1年後・・
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4月で支援学校の中学3年生。
いよいよ高等部が迫ってくると、支援学校生活も後4年。その後の進路を意識しないわけにはいかない時期が近づいてきました。
体調も発作も一進一退。
ですが、昨年の今頃に比べれば、劇的に暮らしやすくなった気がします。
胃ろうからの経管栄養で、発作や肺炎であってもしっかり栄養、水分が自宅でも補給できるようになったことで回復も早くなり、感染症の罹患数自体も減った様に感じます。
6月から始めたケトン食治療の効果か、1日に何度も襲ってきた大発作は、気づけば一週間に1~2回と大幅に減っていました。
体の機能も、昨年大幅に退行し、このままだと首を支えることもできなくなるだろうと、もしもに備えた気管切開の説明まで受けていましたが、冬頃から持ち直し、単座位をとれるまで復活、笑顔も復活。
摂食も持ち直しています。ケトン食開始頃は特殊ミルクの注入と経口食の併用、夏の終わり頃から経口が進まなくなり完全注入、嚥下機能の退行かと思われましたが、冬が始まる頃には食欲が戻りました。
秋にかかった溶連菌感染がきっかけで好転した様に思えるのですが、医学的な根拠も何もないそうです。
ともあれ、一度はあきらめた笑顔が戻ってくれたことは何にもかえがたい喜びです。
発作はなくなったわけではなく、今はミオクロニー様の発作が散見、身体機能もできたりできなかったりの毎日です。
とにかくいいときも悪いときも淡々と生活を刻むこと、できるときにできることを少しずつ、病に振り回されることなく1日1日を大切に過ごすことが今の目標です。