Kanade – 8 years old

息子は今年小学2年生になりました。

1才の時から療育園の母子通園を開始、そのまま療育園を卒園し、去年地域の小学校に入学しました。周りは知らない子ばかりで、母親とほぼ離れたこともない中での初めての学校生活は、息子にとってとてもスリリングでエキサイティングな体験だったようで、最初は離れる時に泣いていましたが、すぐに慣れ学校が大好きになりました。

毎朝車いすで登校し、校内ではミニウォークという歩行器に乗って移動します。学校は全くバリアフリーではありませんが、2階までは一応スロープがあるので、スロープを使い教室まで行きます。入学したての頃は、ミニウォークという不思議な乗り物にみんなが振返り、「歩けないの?」と聞かれる日々でしたが、今はもう普通の光景になったようで、みんなも「これがあれば歩けるんだねー」と言ってくれるようになりました。車いすでもミニウォーク移動でも常に周りにお友だちが付いて色々話してくれます。子どもたちから元気を一番もらっているのは母親である私かもしれません。

息子は年長さんの冬にてんかん発作を発症しました。その日は突然やってきて、息子の意識とは関係なく顔だけが右側に引っ張られているような仕草が何度かありました。もしや?と思い、主治医の先生に連絡したところ典型的な『向反発作』だと言われました。先生とも話し、単発で終わるかもしれないと服薬を開始するまで1か月くらい様子を見ましたが、そんなはずもなく発作は続き抗てんかん薬を飲み始めました。

発作発症から1年半ちょっと経ちましたが、色々なタイプの発作が出ています。薬も増量を繰り返していますが、正直なところ効いているのか効いていないのか分かりません。発作発症前はゆっくりながらも着実に成長をしていた息子ですが、今は停滞している感じです。それでも、クラスメイトからの刺激で、マスクが付けられるようになったり、「7」が言えるようになったり、トイレに行って「出ない」と先生に伝えられるようになったりと、ちょっとしたことですが出来ることも増えています。

発作発症直後は、何かある度に自分でも情けなくなるくらい悲観的になっていました。今でも、数十分続く発作でも一瞬の発作でも、発作が起きるたび見守ることしか出来ない自分の無力さを感じ、心がぎゅーっと締め付けられます。それでも一番辛いのは息子なので、私が落ち込んでいる場合じゃない!と気持ちを奮い立たせられるようになった私も少しだけ成長したのだと感じます。

アメリカでは遺伝子治療の実現に向けていくつものプロジェクトが進んでいます。そして、日本でも遺伝子治療の研究が始まりました。家族会活動を通して遺伝子治療の難しさを痛感していますが、それでも希望は持てると思っています。遺伝子治療が可能になるまでに、きっとたくさんの壁があり何度もくじけそうになると思いますが、それでも家族で希望を持って1日1日を楽しみながら過ごしていきたいと思います。

ミニウォークで長いスロープを毎朝2階まで登る
スパイダーを使ってPT
5歳ー発作発症前

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