大阪府 4歳


現在4才の息子、上にお姉ちゃんがいる4人家族です。毎日療育園に親子で楽しく通っています。息子がMECP2重複症候群であると分かったのは、ちょうど2年前の12月でした。2才半の時でした。
息子は海外で生まれました。上の子が緊急帝王切開での出産だったので、予定帝王切開で産みました。海外とは言え、二人目ということもあり、健診でも順調だったので特に何も心配していませんでした。
でもお腹から出された瞬間、上の子の時のような大きな産声はなく、数秒経ってから恐竜の赤ちゃんのような、きゅ~きゅ~というか細い泣き声が聞こえました。一瞬心配になりましたが、お医者さんからも何も言われなかったので、無事生まれてきてくれたことにただ感謝しかありませんでした。
しかしその後、母乳を吸わない(吸えない)、ミルクを大量に吐く、体重が増えない、か弱い泣き声、など、一人目とは明らかに違う”何か”をずっと感じていました。
海外の小児科でも一時帰国中の日本の小児科でも「大丈夫」と言われ続けましたが、結局6カ月を過ぎた頃に、通常1才頃を目処に閉じるはずの大泉門が既に閉じている、脇の下に手を入れて抱っこして足をピョンピョンさせても足を踏ん張らないことから、小児脳神経外科とリハビリを紹介されました。
MRIやレントゲン検査の後、
・大脳皮質に問題がある
・ひどい胃逆流性食道炎になっている
と言われました。
ショックではあったものの、今まで周りからは「大丈夫、ゆっくりなだけ」と言われ続け、でも”何か違う”と一人で思い続けていた行き場のない気持ちがやっと落ち着いた気がしました。小児脳神経外科の先生に「MRIを見る限り、原因は分からないが単に成長がゆっくりなのとは違う」と言われ、それなら原因をハッキリさせて成長を促すリハビリなどを積極的に受けなければ!それならやっぱり日本で受けなくては!といてもたってもいられず、日本への本帰国を決めました。
縁あって東京の病院で色々な検査を受けられることになり何回目かの検査入院で
・歯が生えてこない
・髄鞘化が遅れている
・小脳が小さい(脳全体が小さめ)
・脳梁の低形成
・大脳白質形成遅滞
などが見られたために、主治医の先生から「POLR3A/POLR3B遺伝子の異常」を疑われ、エキソーム解析(遺伝子検査)をすすめられました。主治医の先生からは「もし遺伝子疾患が見つかったとしても、根本的な治療法はない。ただ原因が分かることにより将来的に何が起こりうるのか、事前にかかりやすい病気などが分かり予防策が取れる。」と説明があり、子供と父母の採血をし結果を待つことになりました。
と同時に、主治医の先生からリハビリの重要性を説明され、大阪の有名なリハビリ施設を紹介してもらい母子入院することになりました。母子入院後、東京に戻る予定でしたが、リハビリ環境を考え、大阪に住むことに決めました。
半年後、疑われていた遺伝子の異常ではないことが分かりました。先生から、遺伝子の数は膨大なため原因はこのまま分からないかもしれないと言われました。しかし、更に半年後、遺伝子の解析が進み、疑わしい疾患が見つかったために検査入院をしてほしいと連絡がありました。
そこで再度色々な検査をし、MECP2重複症候群であると確定診断をされました。
2才半での確定診断は早い方だと思います。これは全て当時お世話になっていた病院、そして主治医の先生のお陰だと本当に感謝しています。
確定診断され、MECP2重複症候群がどんな疾患なのか、将来どのようなことが起こるのか説明を受け、ショックを受けなかった言えば嘘になりますが、限られた中で出来る限りのことをしよう、出来る限りのことをしてあげようと、思いを新たにしました。主人も同じだったようで、診断されてから息子に対する態度が変わったように思います。
4才の息子は、やっとつかまり立ちが出来るようになりました。
発作が始まってしまったら今まで出来たことも出来なくなってしまう…という不安が、何か出来るようになる度に、ピョンピョン移動する息子を見る度に、頭をよぎります。新しく何かが出来るようになった時に、何も考えず、出来たことを素直に喜べたらいいのに、と思いますが、やっぱり上の子の時のようにはいきません。
でも、人間の成長とは本当にすごいものなんだと息子を通してお姉ちゃんのすごさも分かるようになりました(笑)
毎日元気に学校へ行けること、療育園に通えることの大切さを日々実感します。
そして何より息子が運んできてくれた縁。療育園のお母さんたち、先生、病院の先生たち、海外の患者家族、そして日本の家族会のメンバー。その他にもとても素晴らしい縁に恵まれました。
MECP2重複症候群は、決して楽観視出来るような疾患ではありません。でも、今はそんな過酷な疾患が息子の、私たち家族の武器になりました。
普通なら忘れ去られてしまうようなことでも、MECP2という武器があることで記憶にも留めてもらえ、縁も繋がります。
家族会も発足し、同じ悩みを共有することも出来るようになりました。日々不安がなくなることはないけれど、今は前に進むしかないと思っています。
がんばろーーーっ、おぉ!!

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1年後・・
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発作はまだ発症していません。感染症には弱いですが、漢方を飲み始めてからだいぶ体調が安定してきました。
<PT>1歳になる前からリハを始めましたが、まだ歩いていません。どうにか座った状態から高いところにつかまって立ち上がることが出来るようになりした。好きなものがあれば、ずっと立っていますが、基本すぐ座ってしまいます。横への移動も難しいです。支えがないところではまだ立てません。
体幹周辺がしっかりしておらず、常にグラグラしている感じです。家での移動は主にバニーホッピング。療育園ではUFOウォーカーという歩行器にのって自由自在に移動しています。めちゃ速いです。
膝とお尻が伸びにくい、股関節が硬い、内腿の力が弱い、などPT的に沢山の課題があります。が、ゆっくりではあるものの、最初全く動かなかったことを思えば、だいぶ自分で動けるようになっていると思います。
<OT>小さいものをつまんだり、物を持ち替えたり、比較的手の操作は上手です。でも、そこに一つ道具を介すと一気に不安定になります。例えば、太鼓のばち。持つことはできますが、持って太鼓をたたくことは出来ません。手のひらで上手に太鼓をたたけるのに、ばちを持った瞬間、たたく位置も横にずれたり、音も出せなくなってしまいます。
ただ、食べることは好きなので、食べることに限っていえば、OTの先生に作ってもらったピストル型のスプーンを使えば、自分で食べたいものをすくって上手に食べます。フォークで何かを刺すことは難しいようで、フォークでもすくおうとします。
全体的に道具を持つ時は、がっちり掴む、持つというよりは、ふんわり持つような感じなので、安定感がありません。でも、肘を安定させてあげると操作性が上がります。
<ST>意味のある言葉はまだ話しません。ママパパという時もありますが、ただ単に発音しているだけの時も多いです。大好きなお友達の名前がいきなり言えたり、単発で単語を言ったりすることはありますが、だいたい単発で終わり、それが言葉に繋がったりは今のところありません。
ただ、言葉の理解力はあるようで、こちら側が言っていることはだいたい理解しています。行動に移すまでに時間がかかりますが、お願いしたことは出来る範囲でやろうとします。
理解はしているものの、それを伝える術がかなり限られています。今は療育園で教えてもらったマカトンサインのいくつかを我が家用にアレンジして使っています。一つのサインにいくつもの意味があるので、読み解くのも一苦労です。でも、以前に比べたらだいぶ分かりやすく伝えてくれるようになりました。
UFOウォーカーを一昨年末から乗り始めて、動くことがとても楽しくなったようで、一気に子供の様子が変わりました。探求心が出てきたように思います。自分でもUFOに乗れば好きなところに行けると分かっているようで、UFOに乗っている時はイキイキしています。
もっとコミュニケーションをスムーズにしたり、子供からの発信を見逃さないようにするために、コミュニケーションツールとして、スイッチがよいのか、eye-trackerが良いのか、カードがよいのか、色々試行錯誤中です。

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