宮城県 7歳


現在7歳小学1年生の息子。
お腹にいたときから小さめと言われて高度医療を受けられる病院で産まれた息子。
産まれた息子はとても小さくて、でもしっかり生きている。暖かくて愛おしくて、この子を全力で守りたいと思いました。
発達もゆっくりで何かこの子には生まれもった障がいがあるのだろうとどこかで確信していました。 感染症に弱く、かかるとすぐに重症化し肺炎を起こし入院の日々… どうしてこの子はこんなに弱いんだろう。
小さな頃から繰り返す感染症と肺炎に悩まされ、入退院の繰り返し。
すぐに感染症をもらってしまうので、息子に必要な通院やリハビリに行くことすらままならず、外にでることが恐怖となっていました。

3歳でてんかんを発症し、無知だった私は薬を飲めば治るものだと思っていましたが治るどころかどんどん酷くなる一方な上、 薬の量も種類もどんどん増えていきました。それでも発作は全く止まりませんでした。 なんで?どうして止まらないの?1年後にスパズムを合併してからは急激に酷くなり、何の前触れもなく頭からストンと瞬時に床に落ちていき、顔面にアザができるようになりました。
やがてできていたことが少しずつ出来なくなり、あんなに活発に私の後ろを追いかけてきた息子が、起き上がることすらままならなくなりました。
そして薬の副作用で1日の3分の2は寝て過ごすようになりました。

そんな時、以前受けていたCGHアレイ検査の結果を医師から告げられました。 『MECP2重複症候群』 という診断名でした。感染症に弱くて、発作が止まらない理由がようやく分かりました。
医師に何度相談しても「この病気のてんかんは難治で薬が効かないから仕方ない」と言われるばかり。ただ増えていく薬、でも止まらない発作。副作用で苦しむ息子をただ見守ることしかできずに毎日毎日朝が来ることが苦痛でした。また息子が苦しむ姿をただ見ていなければならないのか。いっそこのまま夜が明けなければいいのに。
私自身も精神的に極限の状態に追い込まれ、外にでることも誰かと会話することすら苦痛になって家に息子と2人閉じこもっていることしかできませんでした。

セカンドした病院で受けた外科手術をきっかけにあんなに酷かった発作がパタリと止まり、息子に笑顔が戻りました。出来なくなっていたことも少しずつ取り戻すことが出来ました。
現在再発してしまった発作をなんとか抑制すべく、新しい治療に挑戦しています。
普通に生活したい、ただそれだけなのにそれすらも奪っていく感染症にてんかん発作。

息子と同じように苦しむ子が、それを見守ることしかできない同じ想いをしている家族が、この世界のどこかにいるかと思うと居た堪れない気持ちになります。
日本では難病指定にすらされていない希少疾患。
けれどネットで検索してもほとんど情報が得られず同疾患の子さえ見つからない、患者会の存在すらない。
不安で孤独なものでした。
見つからないのなら誰かに探して貰おうと思い、はじめたブログが今の皆さんと出会うきっかけになり、ようやく繋がれた同疾患家族の方々。 それから患者家族のそれぞれの強い想いがこうして患者会というカタチとなり発足しました。  たくさんの大変な症状を抱えるこの疾患の子たちですが今現在、難病指定されていないのが現状です。まずは疾患名の認知度をあげる、難病指定及びゲノム医療に組み込まれること、治療法の確立を目指して患者会メンバー一団となって動き出しています。
何かを動かすために必要なもの...
それはひとの強い想いだと思います。その想いが集まれば何かを変えることが出来ると信じています。
私は同じ疾患の子をもつ家族と繋がることが出来て心底救われました。仲間がいることはとても励みになり、勇気となります。
決して1人で戦っているのではありません。

ここでは同疾患家族で情報や悩みなどを共有しあい、プライバシーはしっかりと守り、誰もが安心して入会できるような場を作りたいと思っております。
積極的に活動できないけど、情報は知りたいという方、ネットで情報公開されるのはチョット…という方、それぞれの考え方があると思います。
それでいいのです。
患者ご家族の情報、繋がりが私たちにとって、とてもかけがえのないものなのです。

何もしなければ何も変わりません。声を上げなければ誰にも聞こえません。まずこの疾患を世間に知ってもらうことから、今できることを少しずつ、繋がれた仲間と共に訴えかけていこうと思います。いつ日か、同疾患の子供達とその家族が穏やかに生活できる日が訪れますように。

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